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「教える時代」の終焉~いま大人が子どものためにできること~

毎週0歳~中学校3年生まで、100~200人の子どもたちと顔を合わせる。

その中で感じる事。

 

子どもって、大人より、ずっと社会を冷静に見ている。

 

経験値では大人に負けるけれど、社会を見て考える力は負けていない。

そして何よりまっすぐな判断ができる。ここが子どもの凄いところ。

 

大人になればなるほど、いろいろな柵ができ、自分の思いを探すのにすごく時間がかかる。

また探し出せない事もある。

でも日々追われる時間の中で、次に進まなければならないので、とりあえず解決してしまったり、無理やり自分を納得させようとしたりする。

子育ての場でも、教育の場でも同じ。

忙しいから、ついつい自分の決めた枠の中で、子どもを育てようとする。

 

「あなたは何を大事にしたいの?」

 

時々大人に聞いてみたくなる。

 

毎日のように子どもの楽しい話や悩み、愚痴を聞く。

そして私も聞いてもらう。

子どもに話すと解決することが多い。

 

子どもって時間がゆっくり進んでいるんだなぁ。

じっくり見て、いろんなことを感じて思って、自分なりの答えを探しているんだなぁと思う。

 

水曜日、私のところにきた小学5年生の女の子。

ピアノを習いに来ているのだが、いつも半分ぐらいは喋っている。

 

「なぁなぁ楽ちゃんどう思う?今日さぁ、男子がコンパス忘れて横の子に貸してって言ってん。

そしたらさぁ、その子が、先生に怒られるからかさへん、って言うねん。」

「ふぅん。で?」

「おかしない?へんなルールがあってさぁ、物の貸し借り禁止やねん。」

「へぇ~なんでなんやろなぁ。」

「たぶんさぁ、個人の持ち物が減ったりなくなったりするからあかんってことやろ?」

「なるほど。」

「で?あんたはどうおもうん?」

「うちはさぁ、先生に怒られるからかさへんっていうのがおかしいとおもうねん。

だってさぁ、それってやさしさやろ?」

 

すごい。

そういうこと!と思う。

先生の思いをきいてみたい、と思う。

 

「先生に言ったら?」

「ぜったいいややわ!むだなじかんや。」

「むだって?」

「なにいったっておこられるだけや」

 

絶望的。

 

仕方がないか。先生は忙しいしね。

・・・とは絶対言いたくない。

 

大人はみんなそう。とか、大人は勝手。

そんなふうに言われたくない。

ちゃんと子どもに対峙してほしい。

あきらめられたくない。

 

だから、日々気をつけている事。

子どもに何かを要求するときは、その理由を言える大人になりたい。

言えなければ、それはきっとそんなに意味のない事。

 

「なんでこれやらなあかんの?」

「・・・・・」

「ほんまやなぁ。べつにやりたくなければやらなくてもええよ」

という事にしている。

 

みんなやっているからやりなさい、とか、絶対に言いたくない。

〇〇する時間だから、とかもなるべくは言いたくない。

時間はその子のものだと思うし、その子が必要ないと思うならその時間は別のことに使えばいいと思う。

 

そんなことで集団生活ができるの?

協調性は育つの?

とよく大人は言うけれど、

 じゃあ無理やり大人の力をつかって動かせば、協調性は身につくの?

 

なんでも周囲にあわせるべき。「こうするべきです」と教える時代は終わった気がする。

もっと心と頭を教えなければならない時代だと思う。

いわゆる感じる力、考える力。

 

そのために大人は、その時間で、その言葉と行動で、子どもの何を育てたいのか。

それを明確にすべき。

 

まずは大人が、子どもに信頼される大人になる事。

子どもが「こんな大人になりたい!」と思える大人を目指したい。